
【13】
■ 身体は一番近い他人
光洋 (田中泯さんのワークショップを体験して)意志さえあれば身体が動くんだと思って、舞台上で石を運ぶ公演をやったんです。二八のときだったんですが、自分の体重ぐらいある石を、四〇分ぐらいかけて、ゆっくり動かすんです。
それで腰を痛めまして(笑)。
それ以前にも、築地のやっちゃばで痛めたりしてたんですが、それは冬の二、三ヶ月だけ痛いというぐらいのものだったんです。その時も、最初は治ると思ってたんですが、いつまで経っても治らなくて、それが今だに続いているんですけれども。
その頃はまだ(ワークショップからの)勢いがありましたから、痛いなと思ってもガンガンやってました。でも、公演から一年ぐらい経ったころには、五分も歩けない情態で、座っては歩き、座っては歩き、という情態で、人の公演の演出をしたときにも「ごめんね」といって、寝て演出をするようなことでした。
これはヤバイなと。一回休んだ方がいいと思ったんで、それまでやっていたことを全部やめて実家に戻ったんです。
―― そうなんですか。
光洋 いま考えると、親はよく受け入れたなと思うんですよ。三〇歳の長男がね・・・。
中途半端に治すより、完全に治してから戻ろうと思ったんで、それが結果的に半年になったんですが。
最初のひと月ぐらいは、アセるんですよ。周りが動いているのがわかるから。情報も入ってくるし。誰々が公演をやったとか。
ひと月を過ぎるころになると、小田原の片田舎ですから、朝起きて、ご飯食べて、河原へ行ってぼーっとして、帰ってきて、またご飯食べて、昼寝して、また河原へ行ってぼーっとして、それで一日経つんですね。それがつらくなくなるんです。
―― 山ごもりと同じですね。
光洋 でも、そのときは食うものは食ってるし、何の使命もないじゃないですか(笑)。
「あ、人間てこういうことに馴れるんだ」と思って。
このままずっと続いたら楽しいな、と思う一方で、三〇男が何をやってるんだ、という気持ちもありました。
医者へ行ったり、整体へ行ったりして、あるところまではよくなったんですが、痛みが完全に取れるところまでにはならなかったんです。いろんな整体外科へも行って、レントゲンを取ってもらったりしたんですが、いつも「大丈夫ですよ」と言われるんです。
最終的に総合病院へ行って、総合的な検査をしてもらったんですが、そのときも同じことを言われたんです。
「大丈夫です」「でも痛いんですよ」「二、三ヶ月休めば・・・」「いや、もう半年何もしてないんです」「え、半年?」・・・ということで、造影剤というんですが、ちょうど自分が痛いと思ってるところにそれを入れたんです。そしたら、そこに血が行ってなかったということがわかったんです。
よかった、と思いましたよ。
―― 見つかって。
光洋 「ほら、やっぱり悪いところがあったでしょ」と(笑)。
それで、「どうすればいいんですか?」と聞いたら、「腰は一回悪くしたら良くならないから、仲良く付き合っていってください」と、それだけ(笑)。それで「戻ろう」と思ったんです。
そんなことがあって、身体というのは、勢い(意志)があればついてくるんだ、と思った時期から、いや、やっぱり身体というのは一番近い他人なんだなと思うようになったんです。身体を使ってやる仕事をしていく以上は、自分と折り合いをつけてやっていかなくちゃだめなんだ、ということを痛感したんです。
演技をしていて、どこかで「もっと行けるのに」といういらつきはあるんですよ、でも何度も何度もやっているとわかってくるんです。あるところ以上に身体を動かすと痛かった記憶がよみがえるんですね。
―― 「身体は一番近い他人」というのは、脱近代的身体論の要諦ですね。光洋さんは、田中泯さんのワークショップからの一連の動きの中で、身体の潜在能力を極限まで引き出す、ということと、自分の身体といえども完全に自分のコントロール下にあるわけではない、という二つのことを、体験的に学ばれたわけですね。とても興味深いお話です。
■ ジァンジァンでのソロ公演
光洋 一九八九年ぐらいから、ソロ活動を渋谷のジァンジァンでやり始めました。最終的に終わったのは九九年ですから、一〇年間で二〇回の公演をやったんです。
―― なかなか切符の取れない会でしたね。
光洋 キャパの少ないところですから(笑)。
最初の四回ぐらいをやって、すごく落ち込んだんです。
―― どうしてですか?
光洋 パントマイムの人間は、営業に行ったときに、舞台でやるパントマイムをそのままやるというのは、なかなか難しいんですよ。みんな風船をつくったりしながらやってるんです。だから逆に、公演は自分のやりたいことだけをやりたくなるんです。
だから、どんなに自分の舞台で受けているネタでも、普通のお客さんの前でやったときに全然受けなかったり、思ったほど来ない、ということがあるんですね。それで、「こんなことずっと続けていてどうなるんだろう」と思ったんです。
その頃、親しくしていただいているマジシャンの伊藤夢葉さんに、いろんなところに連れていってもらったりしてたんです。本当だったら、ぼくがやって夢葉さんがやるというのがいいと思うんですが、何かの事情で夢葉さんがやってぼくがやるということが二回ぐらい続いたんです。そのときに、夢葉さんはワーッと受けてるのに、ぼくのときにはピタッとなって・・・。
それで、すっげェ落ち込んだんです。「このままじゃいけない」と。
(平成13年04月)
――つづく――