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■ 田中泯のワークショップ

―― イタリア・エジプト旅行から帰ってきてからは何をおやりだったんですか?

光洋 帰国してから劇団のメンバーになったんです。それまでは月謝を払って教えてもらっていたんです。劇団のスタジオに四六時中入り浸っていました。朝八時ごろ起きて、九時ごろ工房に行って、ずっと稽古をして、終電で帰ってくる、というようなことを長い間やっていました。
  このときのことが、あとで人に教えるようになってから役に立ちましたね。教えられたことばかりやっていると飽きるので、いろんなことをやるじゃないですか。「あ、こうやればこういう風に見えるんだな」と・・・。だから、最初は暇な方がいいんだな、と思いましたね。

―― 芸のことだけを考えていた時期があった、ということですね。当時の公演としては?

光洋 渋谷のホコ天でやったり、学園祭でやらしてもらったりしていました。初めてソロ公演をやったのは二八のとき、一九八五年二月に渋谷ジァンジァンでやりました。

―― どうでしたか?

光洋 ぼくは本番が近づくと自分に籠もってしまうたちで、周りにも心配させたんです。でも、本番で何か一つ、お客さんがクッと食いついてくれると、そこから俄然よくなるんです。それで結局は成功だったんです。
  ソロ公演を終えた年の春に、(舞踏家の)田中泯さんのところの「舞塾」というワークショップに応募したんです。週五日で朝から夕方まで、九月と十月の丸々二ヶ月間やるというワークショップでした。
  ニューヨークにいるときに、いいなあと思った日本の公演が三つあったんです。一つは、田中泯さんが即興のドラムとギターと組んでやった舞踏公演でした。それまでは写真集でみた「おちんちんにターバン巻いて道路に転がってるオヤジ」という変なイメージしかなかったんです(笑)。とにかく(公演が)すごく良かったんです。その時に名前がインプットされてたんですね。

―― なるほど。ほかの二つは何でしたか?

光洋 一つは、早稲田小劇場。まだ白石加代子がいた頃で、白石さんはやっぱり圧倒的でした。あと一つは歌舞伎でした。歌右衛門。出し物はもう忘れましたが。
  で、田中泯さんのワークショップに応募して、参加しました。
  とにかくハードなんです。最初の二時間から三時間ぐらいは、ダッシュ状態なんです。跳んだりはねたり、五分やっていれば疲れるという状態を延々と続けるんです。バリエーションは果てしなくあるみたいで。基本的には体を作るという運動なので、振付がどうのこうのとか、難しいステップじゃなくて、「膝を高く上げて」「遠くに跳んで」というようなものをずーっと・・・。だから朝食べていくと吐いちゃうんですよ。
  特に一日目は四時間ぐらいそれをやってたんですよ。「おい、これを夕方までずっとやるのかよ」と途方に暮れたんです。実際には昼飯前に終わったんですが、もう何かを食べる気がまるで起きないんです。
  ワークショップは四〇人募集して、二〇人ぐらいが外国から来た人たちなんですが、前の年に参加した人から話を聞いたら、前年は「俺たちは軍隊に来たんじゃない」と言ってボイコットしたりしたんですって(笑)。
  ぼくはそれを聞いて、「うわ〜、外人だなぁ」と思って。よくボイコットなんて思いつくなあと(笑)。

―― まずハードをちゃんと作る、ということなんでしょうね。

光洋 「MBトレーニング」と言ってましたね。Mはマッスルで、Bはボーン。肉と骨を鍛えるんですね。
  風邪をひこうと何しようと、たいがいのことでは「やれ」と言うんです。一人、三十代の女の人が水が溜まっちゃって、そのときはさすがに「やれ」とは言いませんでしたが。

―― 当時、田中泯さんはおいくつぐらいだったんですか。

光洋 三十代後半だと思います。バリバリですね(笑)。
  後半は即興の練習・・・というとおかしいかも知れませんが、「微速」といって、一秒に一ミリみたいな感じで、ゆっくりと動いていくんです。パッと見たら「止まってるの?」というくらいの運動をずっとやったり、「プッシング・ディスカッション」といって、二人一組になって、例えば一人がもう一人を押すんですね。押された方は押された分だけ引っ込むんです。強く押されたら強い力を感じて、その分だけ受けるんです。手だけでやったりとか、足を使ったり、頭を使ったり・・・。それは(動きとして)本当にきれいですよ。

―― 二人の動きが完全にシンクロするわけですね。

光洋 最初は片方が押し手で片方が受け手。今度は逆にして。今度は押す押されるを同時に。
  人の神経って一点集中ですから、押すことに集中すると、押された瞬間というのは固くなってますよね。だから、押しながら押されることを可能にするためには、たえず「来るかも知れない」と、神経を真ん中に置くんです。言葉でいうとですよ。

―― どこにも集中させないというか・・・。

光洋 そう。どこにも集中させないというのは、どこにも集中させてるということですよね。自分の中では三六〇度の集中って感じなんですけれどもね。まあ、ぼくもあの時それが完全にできたとは思わないんですけど。
  あと、身体の部分に、例えば掌なら掌に石を置いて、その置かれた部分だけを動かすんです。次に別のところ、例えば肩にまた石を置くんです。掌を動かしたまま、肩も動かすんです。だんだん石を増やしていく。
  あっちに集中すると、こっちが止まるんです。それでも、三つぐらいまではなんとかできるんですが・・・。
  これも同じなんです。神経を真ん中に置くということ。ぼくの中では、神経を真ん中に置くことと、身体をハードに使うこととは、同じことだと思ってるんです。
  つらいときほど、つらさを客観的に見ている自分がいないと、負けちゃうんです。どうやったって痛いのは痛いんですよ。ある姿勢をきれいに見せようと思うと、やっぱり痛いんです。だけど、最初の頃は痛さに集中するから痛いだけになっちゃうんだけど、慣れてくると、「痛いなぁ」と思っているんだけど「それはそれ。これはこれ」と思ってる自分もいるんですね。痛さを我慢してしまうと固くなりますから、痛いという認識を引き受けたまま、やることはやるという感じですね。痛さを馴らしていくというか。

―― 面白いですねぇ。

光洋 二ヶ月の真ん中に一週間、「山ごもり」があるんです。死ぬかと思いました。

(平成13年01月)

――つづく――

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