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■ ある紳士の思い出

―― ほかになにか、ニューヨークの思い出はありますか?

光洋 日本レストランに勤めているときに、年輩の、かなりいい身なりの人から、親切に英語の入門書をもらったりしたんです。「こんど休みになったら、うちへ来るといいよ」と言われたんです。ぼくが住んでいたのは、セントラル・パーク・ウェストというところで、その人はセントラル・パーク・イーストに住んでいたんです。イーストっていうのは、金持ちばかり住んでいるんですね。
  で、夏の休みに行ったんです。「よく来た」と歓迎してくれて。ほんとにいい人なんです。優しいおじさんって感じで。
  「あれっ?」と思ったのはね、夏場だからうっすらと汗をかくじゃないですか。「シャワー浴びるか?」って言うから、「いえ、いいです」「じゃ、タオル持ってきてやる」。タオルを受け取ろうとすると、「おれが拭いてやるよ」っていうんです。
  で、まあ、それはそれで済んで、「ワイン好きか?」「はい、好きです」。机の上に『プレイボーイ』かなんか置いてあって、ワインを飲みながらパラパラと見ていると「どんなのが好きなの?」なんて聞くわけですよ。それで、「こんなのかな、こんなのかな・・・」なんて言いながら・・・。

―― なよっとした感じがあったんですか?

光洋 全然ないんですよ。とてもジェントルマンで。結婚してて、子どももいるんですって。子どもの写真が置いてあってりするんです。
  でも、ちょっとおかしいなって思ったのは、男と同居してるって言うんですよ。「おれがグリーンカード(永住許可書)を取ってやったんだ」なんて言うんです。
  で、そこにその同居している男が帰ってきたの。ぼくよりも、そのおじさんの方が「あ・・・」って顔してびっくりしてるの。「帰ってきちゃった」って感じで。瞬間、二人で顔を見合っちゃってるの。
  「お、おれの友だちで、英会話を教わりたいというので来たんだ」「ああ、そう」。
  こわいゾ、こわいゾと思って(笑)。
  それで、そのおじさんは、「じゃ、近くにおいしいすしバーがあるから、そこへ行こう」と言ったんで、「おお、セーフ!」(笑)。公共の場所へ出られたと(笑)。

―― よかったですね。

光洋 そのすしバーで、「実は、ぼくはホモセクシュアルなんだ」って言うんです。もうわかってたけど、「えー!」って驚いたふりしてね。その人がいうには、八歳か九歳のときに、男の子と二人きりになって着替えているときに、いきなりキスされて、自分もムラムラっと来たことがあったと。だけどそのことは自分の中で否定しつづけて、結婚もしたんだけども、結婚してはじめて「あ、やっぱりおれはダメなんだ」って思ったと・・・。

―― いい人じゃないですか。

光洋 いい人なんですよ。なんで自分の生い立ちからしゃべったかというと、要するにぼくとやりたいってことなんです。「いや、ぼくはいいから」って言ったんですが、「以前に日本人の商社マンでお前と同じことを言った人がいたんだ。だけど、おれとそういう関係になったら『知らない世界を教えてくれて、サンキュー』と言ったんだ」と。
  バカヤロー。何がサンキューだ、と思ったんです(笑)。
  最後まで「おれはいいです」って断ったんですけどね。

―― もしかしたら惜しいチャンスを逃したのかも知れないですね(笑)。

■ いよいよ日本に帰国して

光洋 結局四年間アメリカにいて、一九八三年の四月に帰国したんですが、その直接の原因はですね、電話で祖母と話しているときに泣かれたんです。泣いた原因もよく覚えていないんですけれども、気の強い祖母が急に泣き出したんで・・・。

―― ちょっとショックを受けたと。

光洋 子どものころ育ててくれた人が(※五月号参照)、自分の知らないあいだに亡くなっちゃってると嫌だな、というのがあって。じゃ、とりあえず一回帰ろうと。またすぐ戻ってくるつもりでね。

―― 日本でこれをやろうという、はっきりとした目標があったわけでは・・・。

光洋 全然なかったです。ただ、その時点で、パントマイムを続けようか、どこかの(演劇の)劇団に入ろうか迷ったんです。今でこそ作ってもいますが、その時は自分に作る才能があるとも思えなかったし、「演る人間」としてだけやっていきたいと思ったんです。
  ところが、そのときぼくは二六で、身体を使うことを二年半ぐらいやってきて、それをそのまま続けていないと元に戻っちゃうんじゃないかと考えたんです。しゃべり(=芝居)は三〇過ぎてからでもやればいいか、と思って、それでとりあえずはパントマイムを続けることにしたんです。
  祖母のところに居候をしながら、あちこち見て歩いて、パントマイムをやっているある劇団に入りました。
  朝は築地の青果市場でアルバイトをしまして、昼から練習に出る、という生活を半年ぐらいしました。

―― 築地でアルバイトしていたんですか。

光洋 半年ぐらいですね。力仕事なんですよ、一番苦手な(笑)。
  そこの僕たちを指示する立場のおじさんがいて、休憩時間にみんなを集めて、「男は力がなくちゃいけない。二〇キロの玉葱の袋を持ち上げろ」っていうんです。まず自分で持ち上げて。休憩時間ですよ(笑)。ぼくはすぐに「すいません、持てないです」。
  バイトの若いヤツで力のあるのがいたんですよ。そいつは六〇キロまで持ち上げたんですが、おじさんは持ち上げられなかったんです。そしたら不機嫌になっちゃって(笑)。

―― 力自慢だったんでしょうね。

光洋 築地には面白い人がいました。
  それで、半年築地で働いていて、腰を悪くしちゃったんです。それがぼくの腰痛のはじまりなんです。
  鍼のお医者さんに行ったら、「あなたの骨は肉体労働をするようにできていない」と言うんですよ。そのバイトは、午後が全部体が空くし、そのわりに時給が良かったんでやめたくなかったんですが。
  ちょうどその頃、「劇団で二週間、イタリアに行くんだけど行かないか」と誘われて行くことにしたんです。築地のバイトもそれでやめることになりました。

(平成12年11月)

――つづく――

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